雷雨のなか、行き先不明の自転車散歩 というツアーが開催された夏、首都の深夜記録的な豪雨もなんのその、5人の参加者は意気軒昂。
ずぶ濡れになりながら、自伝車をこぎ出した人通りのまばらになった大都会。
街灯とビルの窓明かり、ネオンサインが雨にぬれたアスファルトにきらきらと輝いている表通りから、裏通りへ、さらに抜け道を通って表通りへ。
深夜とはいえ、まるでミステリードラマのストーリーをたどるように周りの風景が変化していく。
突然現れる四谷怪談の舞台、靖国通りから江戸城へ、巨大なビルの谷間に残る、平の将門の首塚、普段は通ることもない裏道には歴史のドラマが隠されている。
一行は、雨中の自伝車散歩に、何を考え何に想いを馳せるのか。
最近、若い世代で旅に出ない人が増えているという消費が多様化して、お金の使い道が多岐に渡っているようだ。
人が旅に出るのに、そんなに大きな理由はない。
「ただなんとなく…」
そんな感性を忘れかけているとしたら、それは問題かもしれない。
そもそも今回の企画が生まれたきっかけは、「秋葉原」で起こった無差別殺傷事件だった。
事件は衝撃的だった。
たまたま、その時間、その場所に居合わせたというだけで、何の落ち度もない人々の7人が命を奪われ、10人が負傷した。
様々なメディアが事件を報じる中で、ぼんやりとした容疑者の姿が浮かぶ。
これが現代社会の「犯罪」「悪」もしくは「不条理」というものか…。
被害者の無念を思うと、心が張り裂けんばかり、私たちは真に重い課題を背負ったものである。
「社会」が壊れかけている。
人の「感性」がおかしくなっている。
こんな事態を招く前に、何をなすべきだったのか、すべきでなかったのか。
いまできることは何か…。
恥ずかしながら、せめて、時代を考えるきっかけを掴みたいとあがくのが精一杯だった。
「ただなんとなく…」そんな心のゆとりが失われはじめている。
「秋葉原無差別殺傷事件」と「深夜の自伝車散歩」。
その脈絡のなさに自己矛盾を感じながらも、取材班は、深夜、豪雨の都内をカメラとライトを持って。
「旅はしんどい、けど楽しい」と感じながら走り回ったのだった。